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2011年7月16日 (土)

第32話 日本海海戦のかくれた功労者

私たちはものごころついたときから、日本海海戦の勝利は連合艦隊司令長官であった東郷平八郎の神懸かり的な決断によってもたらされたと教えられてきた。

 その一つは、バルチック艦隊の動向が知れず、関係者が神経をすり減らしていたときにも「敵艦隊は必ず対馬海峡を通過する」と泰然自若として動かなかったことであり、もう一つは、敵艦隊を目前にして、突然、いわゆるT字型戦法を発動したことである。 

 この驚異的な決断によって、日本海海戦では画期的な勝利をもたらしたとされ、後世、彼は軍神と崇められることになるのである。 

 しかし、最近の研究によれば、事実はかなり違ったものである。ましてや、東郷平八郎が軍神とされることによって軍部に利用され、昭和の日本に大きな害毒を与えたことを考えると放置できない問題である。その事実をみておきたい。 

 まず第一にバルチック艦隊の進路の判断については、東郷も判断がつきかねた。それは、東郷の発した「密封命令」の存在によって明らかである。これは、5月24日午前に出され、翌日開封即実行の手はずであった。

 命令の内容は、日本海北方の錨地に向かえというものであった。この命令が実行されていれば、バルティック艦隊は、日本艦隊の攻撃を受けることなく悠々とウラジオストック軍港に到着し、その後の展開はどうなっていたか分からない。 

 この命令の施行を必死で阻止したのは、藤井較一第二艦隊参謀長であった。秋山参謀も含む他の参謀連中から一顧もされなかったが、なおも頑張っていたとろ、遅れてきた島村第二戦隊司令官の同意を得、連合艦隊は命令の施行を一日延期され、かろうじて26日以降の「敵艦見ゆ」等の情報に間に合ったのである。 

 このことが世に知られなかったのは、藤井氏の謙虚な人柄と当時猛反対した人たちが口をつぐんだからである。その結果が東郷平八郎の神格化に結びついたのであるといえる。

 また第二のT字戦法については、日露開戦の直前に策定された「連合艦隊戦策」に明記され、各士官は承知していたことである。

 ちなみに、このT字戦法は、山屋他人海軍大学校教官創案になる「円戦術」の系譜を引くものであるという(岩下秀男「日露戦制した「T字」の系譜」日本経済新聞2005年4月4日)。敵艦隊を目前にして、突如として東郷が考え発令したものではないのである。 

 以上が東郷の神業の真相であるが、しかしこれによって東郷の偉大さは損なわれることはない。国難に対処する組織の責任者として、部下に充分議論させたうえ最善の選択を行ったことは間違いの事実だからである。

  なお、本稿執筆にあたっては野村実「日本海海戦の真実」(講談社1999年)を参考にさせていただいた。

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