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2011年6月 3日 (金)

第26話 アームストロング砲

023  前回、幕末の新鋭銃をご紹介した。今回は、幕末に登場した画期的な大砲(アームストロング砲)について触れておきたい。 

 慶応4年5月15日、上野の彰義隊討伐戦が行われていた。

 官軍の攻撃隊の苦戦が続いていたので、幕僚の一人が総指揮官の大村益次郎にどうなるのか様子を尋ねたところ、彼はやおら時計を取り出して「まもなく彰義隊は崩壊する」と云った。その言葉のとおり 彰義隊は敗走し出したという。 

 大村益次郎が待っていたのは、佐賀藩所有のアームストロング砲による砲撃であった。彼は、佐賀藩に対してひそかに大小2台(6ポンド砲と12ポンド砲)のアームストロング砲を本郷台に運ばせていた。

 そして12ポンド砲の攻撃時刻を指定していた。彼が時計を見ていたのはその時刻を確認していたのである。

 本郷台から不忍池を超えて打ち込まれるアームストロング砲の威力は、寛永寺の中核をなす中堂大門等を吹き飛ばし、さらに砲弾飛来のときの腹をえぐるような音に彰義隊士は恐怖を覚えたのである。 

 当時の新聞は「午後5時官軍利あらざりしが、その時、肥前の手にてアルストロングといえる大砲2門を放発せしより、戦機変じて全く官軍の利となれり」と報じている。  

 この大砲は、1850年代中ごろ、イギリス人のアームストロングが発明した最新式砲である。特徴は、元込め式、弾丸は椎のみ形の長弾、砲身に施条(ラセン条溝)が施してある。飛距離、精度、破壊力がいづれも従来の大砲に比べ格段に優れていた。

  アームストロング砲がはじめて使われたのは、文久3年(1863年)の薩英戦争である。この大砲の威力によって薩摩の各砲台は破壊され、市街は焼かれた。

 この戦いによって薩摩藩の外交方針は、攘夷から開国に切り替わった。英国艦隊の力を身を以て知らされたということである。さらに端的にいえば、アームストロング砲の威力に屈服したのである。 

 ただ、イギリス海軍では、戦闘中に尾栓が吹き飛び砲員が死傷するなどの故障が起こり、一時アームストロング砲は使われなくなったといわれるが、前述した佐賀藩の購入したアームストロング砲は、その後も関東での戦闘から会津若松の城攻めなどで活用されている。トラブルの話を聞かないのは、口径の小さい野砲であったので、欠陥が目立たなかったのかもしれない。

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コメント

佐賀藩のアームストロング砲は輸入砲ではありません、輸入砲と頭からきめつける人が多いのが実に残念です。

佐賀大砲研究家様
 コメントありがとうございます。
 幕末、佐賀藩が持っていたアームストロング砲が輸入品でなかったというご意見だと存じますが、その根拠(資料等)をお教えいただければ幸いです。
 なお、ご存じのことと存じますが、ご参考までに佐賀県立博物館のアームストロング砲展示の説明文を掲載しておきます。「アームストロング砲は、幕末に佐賀藩が保有していた最新式の後装施条砲。1855年イギリスで開発され、長崎のグラバー等を仲介として輸入した。佐賀藩でも製造したといわれているが、実否は明きらかでない。」

アームストロング砲は故障しがちで四ポンド砲が活躍したらしいですがその当たりは、ご存知ですか。

遠距離から砲弾が立て続けに飛んでくるのは、脅威になったにちがいないのはたしかなことでしょう。

パトリオット様
 コメントありがとうございます。
 アームストロング砲が故障しがちなこと、存じております。薩英戦争後、英国では一時同砲の使用を中止したと聞いております。
 なお、戊辰戦争で使用されたアームストロング砲は佐賀藩の2門のみであり、他は四斤山砲が主だったと承知しております。 

佐賀藩の後装砲は二門のみではありません。特に6ポンド砲は十数門製作していますよ、展示してあった説明文を書いた人は産業技術史にあまり詳しい人でなかったようです。
四斤山砲は鹿児島の話ではないのですか、佐賀や武雄の戊辰戦争に使用した数を数えれば解ります。
昭和18年頃まで後装砲は市内に本物が展示してあり、それは明らかに外国のものと異なりました。
田上様が見られたのはレプリカで今少しのものです。

佐賀銃砲史研究者様
ご丁寧なコメントありがとうございます。
私なりに、かなり調べたつもりでしたが不十分だったと思います。
改めて勉強したいと考えています。
恐縮ですが、資料、出典等があればお教えいただければ幸いです。

参考文献としては、この件についてまとめたものは残念ながらありません。  強いて上げるなら「田中近江大掾」 「佐賀藩銃砲沿革史」等でそのほかは佐賀藩の精錬方関係の文書や当時の絵画、個人的な研究書でこの最後の研究書がまとめてありますが、一般的に頒布していないので、入手困難のものが多いです
いずれ頒布出来るものが学術書として計画されています。

前回の投稿の件で手に入りにくい文献を紹介して気を悪くされたかもと思い、新しい論文を紹介します。

   アームストロング砲と佐賀施条砲について     佐賀大学 低平地沿岸海域研究センター発行
                                     低平地研究 no22 2013年6月

    上記の論文を読んでもらえばおよその事はお解りになると思います

佐賀藩武雄領のアームストロング砲(特に6ポンド砲)について研究している者です。
佐賀本藩が戊辰・上野戦争に動員したのは、英製6ポンド砲2門だけです。会津へも
それを回送しています。現在佐賀県内各所に展示してある砲4門は、9ポンド砲で
しかも、肝心な点の復元が抜けております。
アームストロング砲に興味がおありなら、武雄市教育委員会発行の「湯か里」を読んで
いただければと思います。砲の復元図面も掲載されております。

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